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| 會津八一記念博物館には、會津博士の蒐集した古鏡資料208面が所蔵されている。それらは、制作年代が紀元前5世紀から紀元後17世紀まで、制作地域も中国を中心に朝鮮・日本にまでおよび、時間的かつ空間的に広範囲にわたる非常に貴重な研究資料である。
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| 鏡の起源は、水に姿を映す水鏡に発すると考えられているが、どこでいつ制作されはじめたのかは明らかではない。ただし中国では、伝説上の皇帝である黄帝が太古の時代に鏡を鋳造させたという説話が伝えられ、考古学的調査により今から3000年以上前の殷時代につくられた鏡が河南省で発見されている。
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| 古代中国の鏡は、鏡面に銀を蒸着させてつくる現代の鏡とは異なり、主に青銅や白銅で鋳造し、その表面を平直あるいは凸状に磨きあげて光を反射させるという技法をとっている。鏡の表はいうまでもなく姿を映す鏡面である。ところが後世の我々にとって興味深いのは鏡の裏である鏡背であり、そこには時代によって実に様々な文様があらわされているのである。それらには単純な幾何学文様から、飛翔し疾駆する鳥獣の姿や、複雑に絡みあう植物文、中国古代の神仙図などがあり、見るものを鏡の世界に引き込む不思議な魅力に満ちている。 |
| 中国で本格的に鏡の制作がはじまったのは、戦国時代(前403〜前221年)である。この時代の鏡の特徴としては、縁が鋭く反りあがった匕縁(ひえん)であり、厚みが0.15センチから1.0センチと非常に薄いことがあげられる。また鏡背の中央にある紐(ちゅう)は小型で、三稜形をなすものが多い。鏡背の文様は、曲線を重ね合わせた羽状文(うじょうもん)や雲雷文(うんらいもん)といった単純なものが主流をなし、戦国時代後期には「家常貴福」といった吉祥句や、絡みあう龍を図案化した蟠*文(ばんちもん)などの複雑な文様もあらわされるようになった。 |
| つぎの漢時代(前206〜後220年)は、中国古鏡における一つのピークともいうべき時代で、優れた作品が数多くつくられた。この時代の鏡は前代と異なって縁が平らになり、弧線を連ねた連弧文(れんこもん)などが新たに出現し、紐の周囲に方格の図形を配した方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)が流行する。方格規矩鏡にあらわされる方格には、T・L・V字形を伴うことが多いので、このタイプの鏡は別名TLV鏡とも呼ばれている。この他の文様としては、十二支や四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)、漢時代に発展した神仙思想にもとづく西王母(せいおうぼ)・東王父(とうおうふ)などがみられる。 |
| つづく三国・晋・南北朝時代の鏡は、漢時代の鏡をほとんどそのままの形で継承したもので、そこに独自な発展の痕はみとめられない。 |
| ところが、隋(589〜618年)・唐(618〜907年)時代にいたって、漢時代以来受け継がれてきた伝統が一新され、中国古鏡のもう一つのピークを迎えることになる。形状はそれまでの円形に加えて、新たに方形・八稜形・八花形などがつくられるようになり、文様も珍獣や花鳥、人物故事にいたるまで多彩になった。特に注目されるのは海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)の流行で、紐の周りに獅子を駆けめぐらし、その周囲を華麗な葡萄唐草文で飾り、それぞれの文様を動きのある立体的な形としてあらわしている。「海獣」とは海の向こうの獣という意味であるが、当時の中国では砂漠の向こう側を示し、外国との交易が盛んであった唐時代の国際性を象徴する鏡といえよう。
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| 宋時代(690〜1126年)の鏡は、文様自体は唐時代のものを踏襲しているにすぎず、とくに大きな変化はみられないが、形式においてそれまでにない柄のついた鏡が出現したことが特記される。この柄鏡は後に室町時代にいたって日本へ伝わったと考えられ、江戸時代における鏡の主流となった。 |
| 會津博士は生前、鏡に関する講演上で「およそ古いものを愛します時は、手に持ってみるということが一番大事なことなのであります」と語っている。実際、当時の門下生たちは博士の所有になる鏡などの実物資料を手にとって研究したのである。この実物を重んじる姿勢こそ、會津博士が常に説いていた「実学論」であり、古鏡もまたその理念の実践の一環として蒐集されたものである。 |